激務の外科医である僕が、ミニマリストになったたった1つの理由

ミニマリスト
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こんにちは。

「なんだか生きづらい…」
「何をしたわけでもないのに、疲れた、落ち着かない…」

以前の僕は、漠然とそんなことを思いながら、毎日を過ごしていました。
今回は、そんな僕がなぜミニマリストになったのか、その理由をお話ししたいと思います。

モノに囲まれた「何不自由ない」子ども時代

僕は、田舎で公務員をしていた両親のもとに育ちました。
生活に困ることはなく、家には常にモノがあふれていました。

クラスでは人気者で、誰とでもすぐに打ち解けられるタイプでした。
勉強も運動もそれなりにできて、周囲からの評価にも恵まれていました。

でも、あの頃の僕は自分を過大評価し、他人を見下していました。
自信と傲慢さを履き違えていたんです。

人間関係の崩壊と、自分への失望

ろくに勉強もせず、結局僕は浪人しました。
それでも傲慢な性格は変わらず、周りとの距離も見えないまま過ごしていました。

ある日、友人が誰かの悪口を言っているのを、ただ黙って聞いていた僕。
次の日、その内容すべてを「僕が言った」とされていて、予備校内で孤立しました。

昨日まで挨拶していた友人たちは、何も言わずに僕を無視しました。
昼ご飯を一緒に食べてくれる人もいなくなり、1人でポツンと食べていました。
人に無視されるということが、こんなにもしんどいのかと、心の底から絶望しました。

その日を境に、僕は予備校に通えなくなりました。
「行ってきます」と家を出ては、どこにも行けず、ただ時間をつぶして帰る日々。

他人と関わることが怖くなり、人との距離をとるようになりました。

孤独と依存、そして浪費

大学生になってからも、人との接し方がわからず、孤独感は消えませんでした。
代わりにハマったのが、ネットショッピングとSNS

リアルな人間関係で満たされない感情を、物や情報で埋めようとしていたんだと思います。

仕送りは、毎月すぐにゼロ。
1日の大半はスマホを触りながら過ごし、何かを買っていないと落ち着かない。
そんな生活が習慣になっていきました。

社会人になってもそれは変わらず、むしろ収入が増えた分、浪費も拡大。
気づけば、心も部屋も、散らかり放題でした。

無駄を詰め込んで、心を空っぽにしていた

忙しさにかまけて、自分のことなんて何も考えていませんでした。

自分の心と向き合うことを避けていました。
手元にあるもので不安をごまかして、時間を埋め尽くして。
でも、本当の問題は、ずっと僕の中にありました。

外科医として働く中で気がついたこと

僕は外科医になりました。
仕事は激務でした。終わる時間が読めない勤務、帰宅後も鳴る病棟からの電話、急患の対応…
時間も体力も、ほとんど仕事に持っていかれる日々でした。

でもかえって、心の奥の空虚さに気づかずに済みました。

でも、ある夜、ふとスマホで Youtube を見ながら、こう思いました。
「なんで、こんなにモノも情報も抱えているのに、満たされないんだろう?」

きっかけは、「片付けてみようかな」だった

疲れて帰ってきた部屋には、買いっぱなしの荷物、積み上がった本、着ない服。
なんとなく、ある日それらを片付けてみたくなったんです。

最初は、ただの片付けでした。
服を畳んだり、出しっぱなしのものを閉まったり、皿を洗って収納したり…
単純な片付けにも気づきがありました。

「これ、なんで買ったんだろう」
「これ、なんのために持ってたんだろう?

僕は自分でもひと目見て、必要のないものをたくさん持っていました。

多くのモノをもつ理由は、
他人の目や見栄、満たされない心を満たすためだったということに気が付きました。

僕がミニマリストになった、たった一つの理由

「自分を取り戻したかった」
それだけです。

失った他人の評価を覆い隠したい気持ち、社会的なイメージ、SNSでのつながり・承認欲求…
そういったノイズの中で、いつの間にか、”自分”を見失っていたんです。

モノを減らすことで、
「自分はどうしたいのか」「大切にしたいものは何か」が見えるようになりました。

手放したら、満たされた

SNS を見る頻度も減り、服も減り、ネットショッピングで不要なものを買うこともなくなりました。

モノを減らしただけなのに、心は以前よりも満たされている気がします。
それは、「自分がどうしたいか」に集中できるようになったからだと思います。

まとめ

僕は、「モノを減らす」という静かな選択をしました。
それは、他人に振り回されずに、自分の人生を自分で歩くための選択でした。

ミニマリストになったのは、流行や合理性でもなく、
ただ1つ、本当の自分を取り戻したかったから。

あなたももし、今の暮らしにどこか違和感を感じているなら——
いちど、「何を持つか」ではなく、「なぜ持っているのか?」を問い直してみてください。

きっと、その先に、本当の自分が待っています。

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